SNSと繊細チンピラ症候群

SNSなどで何らかの出来事が発生した時に大げさに騒ぎ立てる人を繊細チンピラと呼ぶらしい。

これは社会の有り様と同時に今ネットリテラシーの中で何が起っているかの判断材料になる言葉だと筆者は思う。

やはりネット社会というのは断絶したコミュニケーションの中で様々な出来事(インシデント)だけが重要性を持つという情報化特有の分断コミュニティの有り様を浮かび上がらせる。

これは人が平時に人とコミュニケーションを取る際に些細な表情や声音、態度などを見て臨機応変にコミュニケーションが取れる事に対して何の表情のないデッドコミュニケーションという状況をまず浮かび上がらせる。

この状態においてSNSサイト閲覧者はいつまでも自己存在充足感を味わえない疎外感において生命の危機まで感じる様になっているかもしれない。

ここでこのデッドコミュニケーションからもたらされる狂気の発症といったものが生じる可能性は多いにある。

人はさも重大な出来事の様に感じているコミュニケーションだがこのコミュニケーションはせいぜい基本的には今日も元気か?程度を訪ねるものである。

この根底には他者の存在の認知と共に自己の存在を認知して自己充足するという重大なプロセスがある。

ここで基本的には今日も元気か?は他者に向けられた様で結局は自分の存在確認の為に自分自身に向けて発せられた言葉である事がわかる。

人にとって何より重大な事は今日も自分は元気で生きているか?と確認する事である。

ここでSNSなどを介したコミュニケーションでは今日も自分は元気か?と言った言葉に辿り着くまでにやれ正義やら倫理やら適当に都合の良い手段を見つけてきてそこに自分の存在を託す事になる。

そこで押しつけがましくチンピラの様に自分はちゃんと生きているよな?といった強引な確認プロセスが発生するものと思われる。

この自己存在の委任作業は近代民主主義国家では当たり前の様に行なわれているもので基本的には家族社会。会社組織から経済や社会インフラ、社会システムの構造なども基本的には自己認知に都合が良い様に形成される。

今、問題になっているのはこの単なる自己認知のプロセスが夢遊病のようにネット社会を勝手に漂いながら自分たちのコントロールの外れたところで勝手にゴミ屑が堆積してイデオロギー化して行く事である。

この繊細チンピラと言う言葉にハッとさせられる人はまず鏡や自分の姿などを確認して、また出来るだけ生身の状態に近いコミュニケーションの取れる人とちゃんとコミュニケーションを取って自己の存在をまず確認されてみて貰いたい。

そこにはSNSの情報など結局はどうでも良くしっかりとしたコミュニケーションの中で自分が本当に安らいでいる事が確認できると思う。

またネット時代に生きる人たちに対してますます浸透して行くであろう生身のコミュニケーション能力欠如にはまた社会全体で取り組んで行く事も重大な事である。

終わりになるがまずはそれほど情報に対してセンシティブにならずに、もしとある情報があまりにも頭にこびりついて離れない様であればやはり自分自身助けて欲しいとちゃんとした相談機関や医療機関なりに相談される事は重要であるかとは思う。

アイデンティティの崩壊にはやはりまた地道に再構築して行くというプロセスも重大な生きるプロセスとなるのだ。

最後にこの文章が皆様の救いになる事を願っています。

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