富の定着による金銭の堰き止めと金銭の流動性の矛盾
我々はその場その場で富を産出する。
この富を蓄える事により強大な資本力を手に入れるのが現代社会での鉄則だ。
またこれはトリクルダウンと言った楽観的善人論により多くの人々は救われると信じられてきた。
しかし現実による富の蓄積はただ強大な権力のみを発生させて、多くの人はおこぼれを預かろうとまるで乞食の様に富に群がる。
そしてそのおこぼれを貰う順番で些細な諍いを起こしたりする。
しかしまたこの様な富の独占状態にあって富は果たして現存するのかといった富に対しての定義が曖昧になってきてしまう。
ここでは富の定着による金銭の堰き止め、配分効果が加わらなければ我々は富の幻想を見る事は無く主体的には富の定着が出来なくなって行く。
富の定着に成功した個人なり企業なりはその富の定着による金銭堰き止め効果を使って金銭の流動性を確保する。
しかし富を定着した一部の個人や企業は少数派なのでそこに市場介入独占的な富の回収プランなどを産み出してさらなる富の定着を目指して行く。
もちろん金銭の堰き止め効果が無い場所では金銭の流動性が喪失されてしまい貧困層は絶対的に金銭の欠乏状態になる。
この余剰効果として貧困層に金銭を回ることを期待するのが経済ではトリクルダウンというが富裕層が貧困層を必要とすることはあっても果たしてどこまで富裕層は貧困層に時間を割けるだろうか?
そして果たして富裕層自身も超富裕層による際限なき富に集中により富裕層自身がつぶし合うだけで弱体化もかなり深刻では無かろうか?
この事態に富裕層も楽な身ではいられない。
こちらでは際限なき時間の欠乏状態に置かれる。
この時間と金銭の強烈な分離効果は一方ではただひたすらに働き一方ではただひたすらに死んで行くという人にとっての不幸に落ち込んで行く事になる。
時間自身は生み出さなくてはいけないものだろうがそれが金銭の流動性が凄まじい場所では時間が猛烈に産出されて人の身では処理できなくなり金銭の流動性が無い場所では新たに時間が生み出せない。
これはまるで富のブラックホールに落ちて行く様である。
そしてまた一方で富裕層としても貧困層の増大による全体的な市場の縮小は最大限の懸念材料として上がってくる。
ここで貧困層が拡大しすぎるとある程度の富の幻想を見せておかないと市場そのものがぺちゃんこに潰れてしまう。
こうなると自らの富の幻想を信じる者だけで新しく市場経済を作り直さなければ行けない。
何にせよ環境問題にせよ地球の資源の問題にせよ富による世界の環境改善には明らかな破綻が生じてきている。
それよりも莫大な富だけが蓄積されて地球環境資源は何も残っていないという自体に陥る事は非常に困りものだ。
かといってお金以上に人々の信仰を集めたものはかつて無かった。
生きる事は産業革命を経て大きな2度の戦争を起こし少しは改善されたかに見えるがやはり現代社会も未来の人々から見たら、現代人から見た中世の時代を生きている人々と何ら変らないのかもしれない。
要はそんなに盤石な世界では無く我々はどこまで行っても漂う木の葉のようなものに過ぎないことは覚悟はされておきたい。