美はなぜ人を魅了するのか?

人はなぜ美しさにそれほど拘るのでしょうか?

これは大きな謎であり遺伝子の戦略的に有効であったということが根底にあるかとは思いますがここら辺を筆者なりに読み解いていきたいと思います。

ここで哲学的思考というものはゲシュタルト心理学や社会行動心理学、脳科学など当たり前の物事を疑ってかかることからスタートしておりそこに因果関係を見出すことで人間をよりよく知ろうというこ試みですので哲学的思考を身に着けたい方は世の中にあふれているありとあらゆる物事を研究対象にされてみてください。

■美しさと健康

まず人が美しさを求める過程で何が根底にあるかと聞かれれば美しさは健康を象徴するものだから。という答えには容易に到達できるでしょう。

人はその微妙な肌つやから骨格、筋肉量、表情、動作、所作などその人のあらゆる外見的特徴から健康度合いを測っているということは言えると思います。

健康的であることは自分の遺伝子を後世に伝えていくために非常に有力な前提になります。

これは男性的な視点から見た傾向が強いかとは思いますが、近年では男性もその美しさが女性から評価されるという時代になっています。

ではこの男性的、女性的という概念の形成以前に美しさはあったのでしょうか?

ここで雌雄分化が起こる前の美しさは非常に乏しい情報となるということが想像ですが特徴として挙げられ、美しさは雌雄が出来上がったことによる遺伝的競争の中に突入している段階ということが挙げられます。

■厳しい環境にさらされている真核生物と環境が作り出す美しさ

人は外見的な美しさを気にしますが細胞レベルでの美しさは細胞のがん化や老廃物や脂肪の蓄積などはありますが細胞にはそれほどの魅力的な表情などはありません。

細胞を見て興奮するのは変態でしょうがこの細胞が60兆個ほど集まって出来ている人の美しさがどれほどの裏打ちがあるものなのかは具体的な情報としては非常に乏しくなります。

当然人は愛の告白などの時にその対象の人を構成する60兆個の細胞を想像しながら告白をするわけではないのでこういう事を考えると愛というものは非常に滑稽なものになってきます。

ただ一つ言えることは陸上で真核細胞の生命が命を繋いでいくことは今に至っても大変に困難なことであるということが挙げられます。

厳しい外気や太陽光、近年大きく騒がしているウイルス群にさらされながら日々多くの細胞が破壊されながら再生しては生命を繋いでいるので陸上生物が非常に過酷な環境に生きているということは挙げられます。

更に鳥などはその過酷な生息環境や生命維持のための必要栄養量とエネルギー貯蓄限界量が必然的に定まってきてしまい、更には酸素濃度、宇宙線の影響などますます過酷な環境に生きているということは挙げられますが、人も宇宙を目指す時代ですので生存のための状況はますます過酷な環境になってきます。

一つ例として挙げますがスチュワーデスが所作から清潔さまであれほど美しさを求めるというのは空という過酷な環境に生きている所為かもしれません。

その真核生物の環境進出の度合いによって美しさという概念はだいぶ変化していくものと推測されます。

要するに最も環境に適するものが最も美しいという反対則です。

■全体性を纏った美しさ

近年の社会改革などによりその美しさに全体性が付与される様になりました。

これはキリストの物資を分かち合う人類愛思想やギリシャ時代などのアガペーなどの愛の思想にもその全体性の片鱗は見えますが近年になって世界規模での交流が簡単になったことでその全体性から見た愛の所在は重要な要素になってきます。

ただここでエスカレートして問題になっているのが民族愛による団結思想です。

これは第1次、第2次世界大戦の戦禍を交える際に極めて有力なバックグラウンドの思想になり愛の思想は反転して人類滅亡や文明破壊の思想になっているのが今課題とするところです。

ここで一触即発の危機を持つグローバリズムの思想を一旦畳んでナショナリズムの思想で結束を図りつつ、各国は適切な距離をおくと言うような事に今の指導者たちは躍起になっていることかと思います。

ただここで国連などの国際機関の弱体化、人類愛を規範とする宗教規範の弱体化、人権擁護思想の弱体化などが今世界中で問題になっています。

ただ人類愛や人権思想などはやはり国際社会、および各国家、またその国家の構成員を見る限り基本的には美の欠片もなく冷静に考えて全体性に美を付与してゆく試みはナンセンスとも言えます。

形骸化され記号化された人間集団に美しさを見出すことは基本的に不可能であり美しくもないものを美しいなどと言っても誰も納得しないと言った寸法です。

こちらはゲシュタルト心理学で全体性認知のあやふやさや挫折の内容を含み、これは人類愛や人権思想をリードする国際団体、各宗教規範の全体性に付与される美のオーバーフローによる脱記号化に至る過程など美を基準とした愛の断りの挫折とも言える内容を含んでいます。

■ただ人の優しさのみに支えられる美

人は結局、美の拡大過程において美の意味を脱記号化により理解できなくなってしまい、そこにはただ優しさだけが美をリードできると言うアガペー的な思想があります。

このアガペーはその特有の優しさにより愛の充足状態に達している神人たちによって人々への恩恵として付与されるという形をとります。

ただしこれは極めて刹那な愛の形体でありアガペーの実行者たちはその命を燃やし尽くして美を基準とする愛を保全します。

これはゲシュタルト心理学で全体の分解に関して自然に進行する脱コード化の流れに対し、キリストなどが行ったように自らをいけにえに興じて愛の規範の再コード化を促していく過程で、どうしても荒廃する社会においてマヤ文明など古代文明の人々が行っていたように強力な愛のコード化できる素材を神にいけにえとして捧げて文明を維持するという流れは今も変わっていないということは指摘できます。

これは今の日本でいうと代々の天皇が自らの身をいけにえに捧げて全体性の再コード化を促進するという流れになります。

ただ全体性から見た美を基盤とする愛の充足状態をこの21世紀に実行できるだけの逸材がいるかはわかりませんが、とりあえず21世紀に来て美を基盤とした社会環境は猛烈に破壊されて行き、そこで生きる命も魂を失ったコード化が極限にまで進行する事により脱コード化されてしまった生きる意志を持たないゾンビの様に空虚な人々の集まりになっていることは大きな問題です。

ここまで全体性と吸着した美について記載してきましたが美はこのように社会が滅びるか維持されるかといった問題にも深く関与することになります。

■脱コード化される秘められた美への思い

美のコード化は細胞の組織化から始まる一連の流れの中で組織化されたコード化による美の誕生という流れの中にある事は理解できるかと思います。

ここで人は宝石などの一連の結晶体や純粋金属に美を見出しますがここで理路整然としてコード化された美の配列から、近年に至るピカソなどに代表される脱コード化された抽象画などへの美の評価への高まりなどここで美もコード化と脱コード化の系統に枝分かれした流れがあることはご承知のことと思います。

美もいわゆる細胞の組織化から個体の識別命名にまで一連して派生した流れから、さらに脱コード化された一見意味崩壊を孕むような隠密の美へと移行するような過程は物理学の素粒子物理学の不確定性などの発見と合わせて興味深い出来事と思います。

ここで脱コード化は個体の特殊性や希少性へと移行していく様な過程をたどり多様性へとつながっていきます。

ここで全体性に圧迫され雁字搦めにされた個体も別段その状況に慄くことなく己の美のみに邁進するという展開が生まれます。

ここでエネルギー課題が破綻した後の実地試験とも呼べる環境下での多様性がどこまで維持できるかはまた生命の進化系統樹とも合わせて興味深い出来事ではあります。

いったん温室の全体性に突き進んだ後でまた厳しい環境適応下での平然とした生存確保への美への挑戦は続くのかもしれません。

そうすると全体性を信じて邁進しているものが愚者であるようにも思えてきます。

ただこの温室環境の全体性が崩壊した後の厳しい環境下での生き残りは熾烈でいながらきわめて平穏下なもので進行するもので今の温室環境の全体性の社会というものが極めて特殊な生命の時代に当たるのかもしれません。

ただこの温室環境下で爆発的に人口増加した人類は厳しい環境下に投げ出されることで激減することは必須で20世紀のような豊富なエネルギーを背景とした時代はもう2度と来ないことはあらかじめ覚悟はしておいた方が良いかもしれません。

■最後に

もしかしたら未来の生存者たちは美を基準に物事を考えられる時代があったなどというのが懐かしいなどと今の時代を回顧するのかもしれません。

美は今現在の細胞進化の組織化過程では極めて環境に即したものでありその美を勝ち取れなかったものはすべて消え去っていく運命にあります。

進化論の上書きもいずれされるでしょうが今は美は生存権の確保の為に非常に重要な課題です。

今回はここで終わりにしますがこの文章を読まれて何か思いなどがありましたらどうぞよろしくお願いいたします。

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